愛国短歌 国を愛する気持ちを短歌にこめて

ふるさと日本を大切に思う気持ちを表現したい。短歌は心のままを歌うもの。だから言葉を飾らず素直な気持ちで歌います。

よの中は たかきいやしき ほどほどに 身を盡(つく)すこそ つとめなりけれ

述懐 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

高貴な方からこういわれると、納得します。

みをつくし ・・・ドラマで流行った言葉でしたが、

この歌に入ると清らかな印象です。

 

我欲とか エゴ を感じないからでしょうね。

美しい言葉だったんですね。

 

まつりごと ただしき国といはれなむ もものつかさよ ちから合わして

述懐 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

まつりごと=政治

もものつかさ=政治家・官僚・役人

 

ちからあわせて。団結。

今の日本をまとめる言葉です。

陛下の下に、力を終結して正しい政道を貫く。

 

この御製をよむと、陛下が旗振り役のように感じます。

 

いま、旗をふる人はいないけれど、

国民がお互いを信頼し、 もものつかさ を信頼し、

「理想の国家観」を国民の中で共有すれば、できるのではないかと思います。

 

日本人の間の信頼関係を取り戻すこと。

 

私がいま、希望を感じていることです。

 

 

よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風のたちさはぐらむ

述懐 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

謎かけをしているように感じました。

有名な歌らしいですね。昭和天皇が開戦の際、この歌を引用されたとか・・・

はらから=兄弟 という意味。

 

日露戦争のときに歌っていると言う事は、

戦争をしたくない、平和を望む気持ちを感じます。

 

ロシアを兄弟とは私は思えません。

火事場泥棒で日本降伏後に北海道に攻め入り、シベリア抑留で日本兵を虐待し、

朝鮮半島で日本女性を酷い目に合わせ、日本とアメリカが戦争をするように

コミンテルンを送り込んでいた・・・

 

いまだに信用ならないけれど、もし明治天皇がご存命なら、どう言われたんだろうとも思います。

 

あらはさむ ときはきにけり ますらをが とぎし剣の 清き光を

剣 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

いま、この本を年代順に読んでいるので ここ数日

明治37年、日露戦争開戦の年 の御製です。

 

剣 と 清い とは、反するものと思っておりました。

日本刀の「村正」など、ちょっと怖い伝説が残っているので、

人きり刀とかそういう感覚でとらえていました。が・・・

 

刀をといで、といで、といだ先には清らかになるのかもしれません。

 

ずっと諸外国との不平等条約や、侵略されないよう、耐えて、備えてきた当時の日本。

 

その頃 流行った言葉

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。我慢して我慢した先の

目標達成。日本人らしい言葉だと、私は大好きな言葉です。

 

この臥薪嘗胆の先には、恨みでもない、怒りでもない、それを

つきぬけた

清らかな真摯な気持ちがあったから、

日露戦争で勝つ という奇跡を引き寄せたのだと思います。

国民も 陛下も ますらおも 臥薪嘗胆。そして清らかな心を

陛下が発露する。日本らしいなと思いました。

 

國といふ くにのかがみになるばかり みがけますらを 大和だましひ

鏡 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

日露戦争へ備えての言葉でしょうか。

「いけー!殺せー!」ではない、

心を磨けと いわれている気がします。

じっとじっと備え、励んでいる様子を感じます。

 

この戦争は、心で戦ったのだと思いました。

そうすると、

大東亜戦争も、心で戦ったのでしょうか。

 

 

 

天地も うごかすばかり 言の葉の まことの道を きはめてしがな

明治37年 歌 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

重い御製です。

 

天地をうごかす、すごい・・・・

まことの道 とは?

 

明治天皇は、ずっとずっと模索し続けていたのでしょうか。

 

こらは皆 軍のにはに いではてて 翁やひとり 山田もるらむ

田家翁 明治37年 明治天皇御製百首 東洋生命保険株式会社奉公部

 

日露戦争時です。

本当に不思議なんだけれども、天皇陛下はなぜ国民にここまで寄り添えるのでしょうか?

それを本当に理解したい。