眞菅(まそが)よ蘇我の子等は
推古天皇御製
眞菅(まそが)よ蘇我の子等は
馬ならば日向(ひなた)の駒
太刀(たち)ならば呉(くれ)の眞刀(まさひ)
宣(うべ)しかも蘇我の子等を
大君(おほきみ)の使(つか)はすらしき
先日 舒明天皇の御製を紹介しました。
その前の推古天皇は歌残ってるかなーと探したところ、ありました。
しかーし、民草への歌ではなく 蘇我氏を褒め称えている歌。
蘇我氏は推古天皇の出身母体でもあり、当時の政権の中枢を 天皇をこえてコントロールしようとした、大臣。
後に中大兄皇子に大化の改新前に殺害されていますが、推古天皇との関係はよかったのですね。摂政をしていた、聖徳太子の和歌はあるか?というと、
ありました。
しなてる片岡山に
飯に飢えて臥せる
其の旅人あはれ
親なしに汝(なれ)なりけめや
さす竹はや無き
飯に飢えて
臥せる 其の旅人あはれ
なんだかこちらのほうが、為政者が民草をうれいてくれていて嬉しいような・・・
この歌のあとの出来事が聖徳太子・聖人伝説になっているので調べてみると面白いです。
しかし、このときの気持ちー旅人が餓えて倒れている光景。ただただあわれ。
推古天皇の御製には共感できなかったけれど、こちらは民への愛なので、返せそうです。
そこで返歌です。
旅人の あわれな様子に心寄せる
わが君優しさ 誇らしけれ
なんだか聖徳太子の側近になった気持ちで歌ってみました。
ふと思ったんですが、天皇陛下というか聖徳太子も推古天皇もおぼっちゃまお嬢様育ちで、餓えたことや貧しい思いをしていないですよね。
どうやって憐れみの心を養ったんだろう・・・